

最後の「お帰り!待ってた」(54-9)
2016年1月22日、父は家に帰りました。 「お父さん、お帰り!よく帰ってきたね」 日常は、たくさんの「行ってらっしゃい」と「お帰り」の繰り返し。父には長い人生の最後の「お帰り!」になりました。でも、それが言えたことは、22年間父が家で暮らすことができたことを含め、奇跡のよ...


最後の「お帰り!待ってた」(54-8)
2016年1月、父が最期を家で迎えるための準備をして、病室に迎えに行きました。「さぁ、お父さん!帰るよ」と声をかけると、苦しそうな表情だった父が、一瞬笑顔を見せました。そして、いきなり点滴の管を引き抜いたのです。「わかった、わかった、帰るから。慌てないで。看護師さんが来るま...


最後の「お帰り!待ってた」(54-7)
父は何度も病院のお世話になったけれど、それはケガや病気を治して、また家での暮らしに戻るために必要だったから。それができないのなら病院にいる意味がない。 家で私が看取る。そう決めました。 そして、そのための準備をしなければと思った矢先、父が再度、緊急搬送されます。父の血中酸素...


最後の「お帰り!待ってた」(54-6)
父の最期を託されました。一つ確かだったことは、父にこれ以上、「頑張って」とは言えない。ただそれだけでした。 自分が選択するだろう道は見えてはいたけれど、即座にそれを実行することはためらわれました。その時に相談したのが、妹の友人のお母さんで長く看護師をされていたAさんです。A...


最後の「お帰り!待ってた」(54-5)
2015年暮れ、在宅介護が厳しい状況になってきました。それならば、次の段階を考えよう。父が80歳を超えたあたりから、体力の低下を感じていたし、そろそろ施設入居のことも考えておこうと思っていました。でも、それは父の体力にあった環境で最晩年を平穏に暮らすためです。...


最後の「お帰り!待ってた」(54-4)
1994年に脳塞栓で倒れた直後の父は人格さえ無くしたようにみえました。しかし、その後長い時間をかけて、おそらくほとんどのことを認知できるようになっていたと思います。意志も明確でしたが、失語症によりそれを言葉で伝えられない、言葉に代わる手段もありませんでした。その父が、父らし...


最後の「お帰り!待ってた」(54-3)
病気になる前、父は自分にも人にも厳しかったようです。会社の方は口を揃えて、「ビシビシやられました」「よくケンカしました」とおっしゃいます。プライド高く、人並みでない負けず嫌いの父にとって、病気になってからの自分の状態は受け入れ難かったに違いありません。生きていることの方がよ...


お帰り!待ってた!(53-2)
父が入院すると、「その間、楽ができるね」と言われました。しかし、そうもいかないのです。看護師さんに「家では杖歩行して、排泄もトイレに行って、そこで普通に済ませています」と言っても、翌日にはおむつになっている。みんな忙しくて、おむつを替える方が、トイレに連れていくよりも手間が...


最後の「お帰り!待ってた」(54-2)
初めて受診で私が父の病歴を伝え、今の状況を説明するのをS先生はだまって聞いておられました。そして、話し終えると、S先生は静かにおっしゃいました。ここが父の寿命なのだと…。私は今までと同じように治す気満々でしたので、驚いて言葉をなくし、混乱してただ涙が止まらなかった。ここを寿...


最後の「お帰り!待ってた」(54-1)
2020年東京オリンピック開催が決まったのが2013年の9月。あと7年、そこまでは父はいけるなと思っていたのです。それが3年後、みおくることになりました。 2015年の暮れ近く、父はすとんと物を食べなくなりました。その1年前くらいから、むせやすくなって、嚥下機能が下がってき...