最後の「お帰り!待ってた」(54-4)
- fairfax3939
- 2017年8月15日
- 読了時間: 1分

1994年に脳塞栓で倒れた直後の父は人格さえ無くしたようにみえました。しかし、その後長い時間をかけて、おそらくほとんどのことを認知できるようになっていたと思います。意志も明確でしたが、失語症によりそれを言葉で伝えられない、言葉に代わる手段もありませんでした。その父が、父らしい自尊心を失うことなく生きるための選択肢として、在宅介護が条件付きでギリギリ残っていました。
その条件は父が一人でできることをフルに発揮できる環境を整えること。そして、家族がサポートすることでした。サポートする家族が3人から一人になっても続けられたのは、その時々で「時間」と「お金」と「エネルギー」を工夫して使ったこと。そして何より、父の「人並みでない頑張り」にほかなりません。結果、在宅での暮らしが22年続きました。
そして、2015年の暮れ、父の頑張りがきかなくなりました。それは、在宅での暮らしがここまでということでした。
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