

在宅介護から見える家族のかたち(56-5)
懸命に真っ当に生きてきて、人生の最終盤が曇ってしまうのはやはり切ない。孫がいるいないではなく、おじいさん、おばあさんになることができた人は強運の持ち主だと思います。たとえ、不運な出来事や病気があっても、命を落とすことがなくおじいさん、おばあさんになることができたわけです...


在宅介護から見える家族のかたち(56-4)
「どうしても伝えたいこと」まだありました。4つ目…。 「親世代と子世代、できることがそれぞれ違う。補える。」ということかな。 今、40代、50代の世代は世界一の超高齢化社会を生きていかなければなりません。歳を重ねるということがどういうことなのか、自分が歳をとって初めて知るよ...


在宅介護から見える家族のかたち(56-4)
父が大きな障害を抱えた状態で自宅に帰り、その中で、様々変化していきました。信じられないことに歩くことができるようになりました。そして、笑うようになりました。非日常のような現実から、それまでとは違う新しい日常を再構築できた具体的な理由は三つあると思います。...


在宅介護から見える家族のかたち(56-3)
「どうしても伝えたいこと」。3つ目…。 このブログで22年間の在宅介護生活をお伝えしてきましたが、在宅介護を薦めているわけではありません。一つの例としてご紹介したまで。でも、もしご家族にサポートが必要な方がいらして、家で一緒に暮らしたいけれど、無理かなぁ、どうしようかな、と...


在宅介護から見える家族のかたち(56-2)
「どうしても伝えたいこと」をもう一つ…。 今放映中の朝の連続テレビ小説「ひよっこ」。主人公のみね子は家族のために田舎から東京に出てきて働いている。そのみね子に、ある女の子が言うのです。「いろいろ苦労があるのに我慢して、健気に明るく振舞って、あなたを見てると胸が痛い」「もっと...


在宅介護から見える家族のかたち(56-1)
父を看取ってから1年7ヶ月が過ぎました。ブログも今日で249日目。毎日一つずつわが家の22年間の在宅介護生活の記録や思いをアップして、今日からのテーマでひと区切りしようと思います。 「ブログ開設のご挨拶」の中に「どうしても伝えたいことがある」と書きました。今ここで、それは何...


22年の在宅介護生活を終えて(55-2)
2002年、母が亡くなった時、私は悲嘆にくれ、後悔に苛まれました。父の時にまた同じような思いをしたら、一体どうなるのだろうと恐ろしかった。でも、私は今、こうしてこのブログを書いています。それは、たぶん、父も母も不運ではあったけれど、不幸ではなかったと思えたからだと思います。...


22年の在宅介護生活を終えて(55-1)
2016年3月、四十九日に納骨を済ませました。そのあとしばらくして一人お墓参りに行きました。手を合わせた時、母が笑っていると感じました。得意げな顔でした。 父の80歳の誕生日の前日、2013年2月3日、傘寿の記念に写真館で写真を撮りました。父が傘寿を笑って祝えるなんて、夢に...


最後の「お帰り!待ってた」(54-11)
2016年1月24日、妹を残して皆帰り、静かになりました。私がお風呂に入っていると妹が呼びにきました。父の呼吸が浅くなってきました。父の様子がどう変化していくかは訪問看護師さんから聞いていました。いつ、どの時点で看護師さんに連絡をするかもいただいた冊子にありました。旅立ちが...


最後の「お帰り!待ってた」(54-10)
家に帰った翌日には、父の兄と姪が大阪から駆け付けました。私は、父が伯父に会えるまで、点滴だけは処置してもらいました。点滴をすることで、逆に苦しい状態が長くなる可能性もありました。それでも、意識があるうちに「お兄ちゃん」に会わせたかった。叔父は大阪弁で父の名前を呼んで、「よう...