

台湾 (48-1)
2015年2月、1通のエアメールが届きました。 1969年、父が台湾に赴任していたとき、共に働いた台湾の同僚、Sさんからでした。父は差出人の名前を見て、目を見開きました。 そのお手紙はこう始まっていました。 「長い事、ご無沙汰いたしました。憶えてくれていますか?台湾の旧友ー...


小さな旅_安曇野(47-4)
翌日は松本城に行きました。お城に感激するかなと思いましたが、そうでもありませんでした。というのも、父はテンションの高いと低い日が一日おきにあって、この旅では1日目にテンションの高い日をあてました。なので、2日目、ちょっとテンション低めなのは想定内。父のコンディションと日程を...


小さな旅_安曇野(47-3)
宿泊は松本市の浅間温泉ホテル玉の湯。バリアフリー設計の和風旅館は珍しい。バリアフリ―対応の貸切風呂などもあり、予約して行ってはみたのですが、父が入浴するには何かうまくいかない箇所があって、お風呂には入らなかったと記憶しています。...


小さな旅_安曇野(47-2)
碌山美術館の次は、安曇野ちひろ美術館。 こちらは、広々とした館内全体がバリアフリーで、車椅子での危険はなさそうでした。なんとなく、父の姿を目の端にいれながら、それでも自分のペースでゆっくり鑑賞できました。 館内のカフェでお茶をしようとしたら、お蕎麦屋さんでご一緒だった女性グ...


小さな旅_安曇野(47-1)
季節は秋の始め。一泊二日の信州安曇野への小さな旅。 初日はまず、一度行ってみたいと思っていた碌山美術館を目指しました。 落葉樹の林に囲まれて、憧れの碌山館がありました。観光客は少なく、自分の足音が響く中で彫刻の「女」など鑑賞していると、まさに芸術の秋。でも、父は彫刻にはまっ...


車(46-3)
富士山が正面に見えると、父は必ず「おぉ~!」と感激しました。今、一人で運転していても富士山を正面に見ると父のその声が聞こえます。 雨戸を開け閉めする時、伊豆の海岸線が見えます。その道を、父と私の乗った車が走っているように見えます。...


車(46-2)
その日の天気や、道路の込み具合や、済ませたい用事を考えながら、大体のルートを決めて出発です。どんどん山の中に入ってしまい、もしここで何かあったら、相当長い間見つけてはもらえない。近所の人が心配しても、まさかこんなところにいるとは思わないだろうから探しようがない。相当危険だ、...


車(46-1)
父の暮らしに車はなくてはならないものでした。買い物や通院に必要ということもあったけれど、父が生きていくのに必要でした。 どんなに機嫌が悪くても、ハンドルを切る真似をして、外を指さして、「行く?」と言うと、父は必ず「うん!うん!」と答えました。寒くても、暑くても、少々雨が降っ...


手すりのこと(45-2)
1994年に父が脳塞栓で入院し、8カ月後自宅に戻るにあたり、最初のリフォームをしました。家まわりのことを全てお願いしているH工務店のご主人が、病院のトイレのL字手すりの取り付け位置を測って同じように設置してくれました。 素材も病院と同じステンレス製でした。ところが、病院のよ...


手すりのこと(45-1)
手すりのことをもう少し。 外階段はステンレス製。錆びないし、20年以上たってもきれいですが、夏はカンカンに熱くなるし、冬はキンキンに冷たくなります。父は健脚の左足を前に出すために、左手で手すりをがっちり握って、その体重を支える必要があり、いくら熱くても冷たくても手を放すわけ...