

父、帰る(6-1)
8ヶ月ぶりに帰った居間で、父は嗚咽して泣きました。 こんなに帰りたかったんだ…。 言葉で伝えられない父は、声を上げて泣き、私たちに家に帰ることができた嬉しさを伝えました。母の体を思えば、この選択がよかったのどうかわからない。でも、あの父の姿をみて、とにかくやるしかない!と思...


大きな決断点(5)
病院で季節が三つ移り変わった頃、退院の話がでました。 その頃には、食事は普通食、点滴もはずれ、服薬だけになっていました。 しかし、身体機能は立ち上がりのみで、一歩も歩けません。排泄には介助が必要でした。 そして、もっとも困ったのが、父からの意思を受け取ることができないこ...


小さな「できる」が見つかった(4-2)
母には持病がありました。自分に弱いところがあっては父の介護がままならないと、父の病態が落ち着いた頃、母も入院しました。この時、母が顔を見せないことを不審に思ったのでしょう。父はしきりに何かを訴えました。事情を繰り返し答えるのですが理解できません。「はいよぉ~!!!」と連呼し...


小さな「できる」が見つかった(4-1)
緊急搬送された病院の集中治療室は元気になって病室を移る患者さんはいませんでした。次々、亡くなるのです。このままでは父も…と危惧されて、入院から一カ月後、T病院に転院しました。 転院したとたん、先の病院で院内感染していたことがわかり、抗生剤やら何やら、点滴の針が8か所にささり...


大阪(3)
今、大阪にいます。 2008年夏、父と二人、大阪に住む父の二人の兄に会いに行きました。大阪城公園近くのホテルでの会食。父は車椅子、長兄は杖をついていたけれど、握手して、笑って、懐石弁当をすっかり平らげました。 父は言葉にできないけれど、兄弟に会いたいだろうと思っていました。...


「じたばたしなさんな」(2-2)
母は愚痴や泣き言を言わない人でした。でも、一度だけ「今日だけは堪えられない」と膝をついて泣いたことがありました。母は涙をぽろぽろこぼすのではなく、目の周りを涙でくしゃくしゃに濡らして泣くのです。あの日、何があったのか、聞かなかったのか、聞いて忘れてしまったのか定かではありま...


「じたばたしなさんな」(2-1)
緊急搬送された病院で、父は脳塞栓による脳機能障害、右半身の麻痺と失語症と診断されました。集中治療室の父は視点をさまよわせ、意味不明の大声を張り上げて、もう人でなくなってしまったよう…。 「お父さん、生きている方がかわいそうだな」 厳しい現実を覚悟しました。...


22年前のあの日(1)
今から22年前の1994年3月12日、私は両親と森山良子さんのコンサートに行く予定でした。 仕事から急ぎ帰ると、父がその日、何か調子が悪く、病院に行ったと言うのです。父は二人で行って来いと言うけれど、母も心配だから行かないと言うし、結局、チケット3枚無駄にしたのです。...


はじめに
もうすぐ一年になります。2016年1月、あと10日で立春という日、 父は笑顔の余韻を残して旅立ちました。82歳でした。 父は1994年、脳血管障害により右半身の自由と言葉を失いました。 そして、結局22年間 「はいよ!」 このひと言しか話すことができませんでした。...