大きな決断点(5)
- fairfax3939
- 2016年12月29日
- 読了時間: 2分
病院で季節が三つ移り変わった頃、退院の話がでました。
その頃には、食事は普通食、点滴もはずれ、服薬だけになっていました。
しかし、身体機能は立ち上がりのみで、一歩も歩けません。排泄には介助が必要でした。
そして、もっとも困ったのが、父からの意思を受け取ることができないことでした。意思が通じないと、唇を噛みしめ、大声で「はよぉ!」と連呼して、左手を振り上げて、とめるスイッチがないのです。まぁ、人として尋常ではありません。父は病気でではなく、憤死するにちがいないと思いました。
そんな状態でしたので、医師もソーシャルワーカーも高齢者向けの病院への転院を当たり前に考えていたのです。
医師:「寝たきり、よくても車椅子の生活になるでしょうから、次の病院の手配をして下さい」
母 :「でも、家に帰ることもできなくはないのですね」
医師:「えっ!…まぁ…できなくはないですが…」
母 :「そうですか、では連れて帰ります」
「えっ!えぇ~っ!」と思うも、母のあまりに当たり前の様子に気おされて、実際どうなるかを具体的に考えるタイミングを逃してしまいました。
散歩道が落ち葉になった11月23日、いい夫婦の日に父は退院しました。
倒れてから、8ヶ月余り経っていました。
今、思うのです。
この迷いのない母の決断が、本当の意味で父を守ったのだ、と。

(退院の日)
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