

はいよ!日記、つづく(18)
「八月十二日 お母さんが長い旅に出かけてもうすぐ三ヶ月になります。 お盆には先頭で帰ってくることでしょう。待っています。」 半年という時間をおいて、日記はつながりました。 #在宅介護 #夫婦 #生活


途切れたページ(16)
「二月九日 ごはんを食べたりコーヒーを飲むたびにお母さんも早く帰ってくるといいねと言います。」 日記は途切れました。 この頃のことは今まで、あまり思い出そうとしたことがなかったと気付きました。 無意識に避けていたのだと思います。...


大好きなお風呂(8)
家での暮らしが始まりました。父は毎日、お風呂に入りました。 仕事から急ぎ帰ると、父の入浴タイムです。 父が家のお風呂に入るためには脱衣所と風呂場の段差解消(15㎝)が必要でした。これは工務店のHさんにステンレス製のスロープを作っていただき、椅子にキャスターが付いたような入浴...


父、帰る(6-1)
8ヶ月ぶりに帰った居間で、父は嗚咽して泣きました。 こんなに帰りたかったんだ…。 言葉で伝えられない父は、声を上げて泣き、私たちに家に帰ることができた嬉しさを伝えました。母の体を思えば、この選択がよかったのどうかわからない。でも、あの父の姿をみて、とにかくやるしかない!と思...


大きな決断点(5)
病院で季節が三つ移り変わった頃、退院の話がでました。 その頃には、食事は普通食、点滴もはずれ、服薬だけになっていました。 しかし、身体機能は立ち上がりのみで、一歩も歩けません。排泄には介助が必要でした。 そして、もっとも困ったのが、父からの意思を受け取ることができないこ...


小さな「できる」が見つかった(4-2)
母には持病がありました。自分に弱いところがあっては父の介護がままならないと、父の病態が落ち着いた頃、母も入院しました。この時、母が顔を見せないことを不審に思ったのでしょう。父はしきりに何かを訴えました。事情を繰り返し答えるのですが理解できません。「はいよぉ~!!!」と連呼し...


小さな「できる」が見つかった(4-1)
緊急搬送された病院の集中治療室は元気になって病室を移る患者さんはいませんでした。次々、亡くなるのです。このままでは父も…と危惧されて、入院から一カ月後、T病院に転院しました。 転院したとたん、先の病院で院内感染していたことがわかり、抗生剤やら何やら、点滴の針が8か所にささり...


「じたばたしなさんな」(2-2)
母は愚痴や泣き言を言わない人でした。でも、一度だけ「今日だけは堪えられない」と膝をついて泣いたことがありました。母は涙をぽろぽろこぼすのではなく、目の周りを涙でくしゃくしゃに濡らして泣くのです。あの日、何があったのか、聞かなかったのか、聞いて忘れてしまったのか定かではありま...