車(46-1)
- 2017年7月7日
- 読了時間: 2分

父の暮らしに車はなくてはならないものでした。買い物や通院に必要ということもあったけれど、父が生きていくのに必要でした。
どんなに機嫌が悪くても、ハンドルを切る真似をして、外を指さして、「行く?」と言うと、父は必ず「うん!うん!」と答えました。寒くても、暑くても、少々雨が降っていても、台風でなければ行きたいのでした。
ある日突然、当たり前のことが当たり前でなくなった。体が不自由になったことに加えて、言葉を失ったことで、倒れた当初は相手が何を言っているかわからない。狂ったように伝えているのに相手はポカンとするか、オロオロするか、無視するか、見下すか…。全く理解されない。怒っている、嫌がっているという感情しか相手に伝わらない。自尊心は砕け散った。それでも生きていくしかなくて、憤死寸前にもがいて、認めたくないけど認めざるおえない現実の中で、車が走るスピード感や広がりは父の気分をひと時、開放したのではないかと思うのです。
曲がり角で、父は左手を方向指示器にして行きたい方向を指します。ドライバーそちらに曲がる。ドライブのそんな瞬間に、きっとわずかな自由を感じていたのではないかしら。
ドライブから帰った母が「お父さんの方向指示器通りに行ったら、会社の取引先の会社だったの。お父さん、喜んでねぇ~。きっと何度も行ったんだろうねぇ~。」と言いました。ドライブで昔の記憶をたどることが、父の脳の活性化にひと役買ったことは間違いありません。
もちろん、いつも方向指示器通りとはいきません。そんな時、父は「はいよぉ⤵」とものすごく不満そう。でも、こちらにも都合がありますから。
























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