最後の「お帰り!待ってた」(54-1)
- fairfax3939
- 2017年8月10日
- 読了時間: 1分

2020年東京オリンピック開催が決まったのが2013年の9月。あと7年、そこまでは父はいけるなと思っていたのです。それが3年後、みおくることになりました。
2015年の暮れ近く、父はすとんと物を食べなくなりました。その1年前くらいから、むせやすくなって、嚥下機能が下がってきたなと認識はしていました。それでも普通食を食べていましたので、これまでのように食事を工夫したり、薬を飲めば改善するのだろうと思っていました。
2015年の暮れ、父が食事に首をそらすようになって、その時に家の近くの個人病院を受診しました。母が亡くなった2002年、私が介護者になってからは父が利用しているデイサービスと関連のある総合病院のお世話になりました。一人の先生が長く父を診てくれました。診察室に入ると、まず握手。父が入院すると、お休みの日でも見に来て下さった。私はその先生を頼りにしていました。しかし、その先生が開業されて、その病院を去られてからは1年毎に担当の医師が変わったのです。その度に薬が変わり、何か不安でした。それで、一人の医師に継続して診ていただく必要を感じて、家の近くの個人病院を受診したのです。
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