

住宅改修 1994(7-3)
このリフォームでは、エレベーター本体の取付け工事と併せて、2台分の駐車スペースを作るコンクリート工事の必要がありました。また、トイレの間口を10センチほど広げて、車椅子で便座まで近づける工事も行ったため、まとまった費用がかかりました。...


住宅改修 1994(7-2)
父が亡くなった後、工務店のHさんご夫妻に挨拶に伺いました。私が「お二人のおかげ」というと、Hさんは「施主さんの強い意思があってはじめて、私たちはできるのです。」とおっしゃいました。母の気迫に、Hさんが「よし、なんとかしてやろう!」と応えて下さった。そして、プロの技術と気概で...


住宅改修 1994(7-1)
父が命を取り留めて、ある程度落ち着いた頃から、母は住宅改修を考え始めていたと思います。 退院時、父は一歩も歩くことはできませんでした。移動は車椅子でした。 我家は木造一戸建てで道路から玄関まで9段の外階段があります。実際、道路から家の床面までは3mほどはあるでしょうか。この...


父、帰る(6-2)
そうは言っても、父が家で暮らすことは案の定、容易なことではありませんでした。 まず、退院までに準備をします。工務店さんにお任せする段差解消やドアを引き戸に替えるなどの工事と、自分たちで行う、家具の移動や介護用品の購入などです。介護保険制前だったので、レンタルという仕組みはな...


新しい年のはじめに
穏やかな元日です。 さぁ、私も頑張りましょう。 頑張りたいことを頑張れる、このタイミングを大切に。 チャレンジ、って若者じゃなくてもやっていいんですものね。 楽しみです。 本年もどうぞよろしくお願いします。 #在宅介護


父、帰る(6-1)
8ヶ月ぶりに帰った居間で、父は嗚咽して泣きました。 こんなに帰りたかったんだ…。 言葉で伝えられない父は、声を上げて泣き、私たちに家に帰ることができた嬉しさを伝えました。母の体を思えば、この選択がよかったのどうかわからない。でも、あの父の姿をみて、とにかくやるしかない!と思...


大きな決断点(5)
病院で季節が三つ移り変わった頃、退院の話がでました。 その頃には、食事は普通食、点滴もはずれ、服薬だけになっていました。 しかし、身体機能は立ち上がりのみで、一歩も歩けません。排泄には介助が必要でした。 そして、もっとも困ったのが、父からの意思を受け取ることができないこ...


小さな「できる」が見つかった(4-2)
母には持病がありました。自分に弱いところがあっては父の介護がままならないと、父の病態が落ち着いた頃、母も入院しました。この時、母が顔を見せないことを不審に思ったのでしょう。父はしきりに何かを訴えました。事情を繰り返し答えるのですが理解できません。「はいよぉ~!!!」と連呼し...


小さな「できる」が見つかった(4-1)
緊急搬送された病院の集中治療室は元気になって病室を移る患者さんはいませんでした。次々、亡くなるのです。このままでは父も…と危惧されて、入院から一カ月後、T病院に転院しました。 転院したとたん、先の病院で院内感染していたことがわかり、抗生剤やら何やら、点滴の針が8か所にささり...


大阪(3)
今、大阪にいます。 2008年夏、父と二人、大阪に住む父の二人の兄に会いに行きました。大阪城公園近くのホテルでの会食。父は車椅子、長兄は杖をついていたけれど、握手して、笑って、懐石弁当をすっかり平らげました。 父は言葉にできないけれど、兄弟に会いたいだろうと思っていました。...