

訪問の介護サービス(21-2)
ヘルパーさんには昼食の支度と夕方に入浴支援をお願いしました。 それまで、家族がお風呂に入れていたので、父にとっても家族以外の女性に世話をさせるという考えられない事態だったわけで、大変困惑していました。 最初は抵抗しましたが、徐々に慣れ、ヘルパーさんも父の気性をわかって、それ...


訪問の介護サービス(21-1)
ケアプランを再度、変更しました。 私の仕事のある月曜から金曜まで、デイサービスを利用していましたが、それを一日おきにして、デイサービスに行かない日は訪問サービスを利用することにしました。 ここから、ヘルパーさんによる訪問介護や訪問リハビリとの関わりが始まりました。...


仕事と在宅介護(19-2)
自分の仕事と父のデイサービスを連携させる生活は容易ではありませんでした。 それでも、デイサービスに行っていてくれているうちはよかったのです。 ある朝、登校拒否ならぬ、デイサービス拒否がありました。 「お父さん、お願い行って!仕事に行けない!」...


お相撲(20)
一年前の初場所、琴奨菊が優勝しました。 「お父さん、10年ぶりに日本のお相撲さんが優勝したよ。よかったね。」 そう言ったその日の未明、父は旅立ちました。 お相撲が楽しみでした。 5時過ぎ、幕の内後半戦が始まると、「はいよぉ~!」と私を呼ぶのです。...


仕事と在宅介護(19-1)
父と妹の三人の暮らしが始まりました。 「介護度4の父は家で暮らす。娘二人は仕事を続ける。」 この方向に、あれこれ考えるいとまもなく走り始めました。 忌引きの間に父のケアプランを変更しました。 仕事のある日(週5日)はデイサービスを利用することにしました。...


はいよ!日記、つづく(18)
「八月十二日 お母さんが長い旅に出かけてもうすぐ三ヶ月になります。 お盆には先頭で帰ってくることでしょう。待っています。」 半年という時間をおいて、日記はつながりました。 #在宅介護 #夫婦 #生活


紫の花に寄せて(17)
母は頑張り屋の父が好きで、勉強家の父を尊敬していました。 父は脳に大きなダメージを受けましたが、運よくその気質は残り、不自由な体になっても、一徹な頑張り屋でした。 母は「病気になる前も後も、お父さんは私の自慢!」と嬉しそうに言いました。...


途切れたページ(16)
「二月九日 ごはんを食べたりコーヒーを飲むたびにお母さんも早く帰ってくるといいねと言います。」 日記は途切れました。 この頃のことは今まで、あまり思い出そうとしたことがなかったと気付きました。 無意識に避けていたのだと思います。...


始めのころと3年後(15)
日記になる前、字の練習を始めた頃とその三年後。 だいぶ、昔の父の字になってきました。 もともと象形文字のような四角い字なのです。


日記スタート(14)
このブログの名前の由来は、父が毎日書いた日記です。 1998年9月18日から始まっています。 父自身が文章を書くのではなく、書いたものを父が書き写すのです。 いつか父が自分の言いたいことを書けるようにと、毎日頑張りました。...