紫の花に寄せて(17)
- fairfax3939
- 2017年1月18日
- 読了時間: 2分

母は頑張り屋の父が好きで、勉強家の父を尊敬していました。
父は脳に大きなダメージを受けましたが、運よくその気質は残り、不自由な体になっても、一徹な頑張り屋でした。
母は「病気になる前も後も、お父さんは私の自慢!」と嬉しそうに言いました。
父と共にあることが生きがいになり、その回復が母自身の喜びになったのだと思います。
母は生き生きしていました。
しかし、2002年5月、母は急逝します。
私は悔みました。足りなかった、父ばかりみていて母の体への意識が足りなかった、できることがあった、やるべき時を見過ごした、側にいただけだった、助けになっているつもりで私は母に甘えていた。
私は長くその思いを拭うことができませんでした。
その悔いが母の人生と死に向き合うことをためらわせました。
そして何より生活が一変。日常に追われ、泣ききる間もないまま、私はずっと苦しかった。
しかし、その後、14年間父と暮らすうちにわかったのです。
父が病気になっても、ならなくても母は幸せだったんだと…。
母らしく、生き切ったんだな、と…。
こう思えることに安堵しています。
母の命日近く、母が植えた芍薬や菖蒲など紫の花が一斉に咲き出すと、わけもなく涙がでたりして、気持ちが揺れて、揺れて、何か人ごみの中で道に迷っているようでした。
けれど、父を見送った2016年、私は庭に萩の花を植えました。
鮮やかな紫の小さな花が満開に咲いて、秋を告げました。
もう大丈夫、そういうことなのだろうと思います。
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