

母の服 (52)
母は料理に限らず、洋裁も和裁もやりました。 私は並外れて大きな子供でした。小学校5年生の時、転校した先の学校の始業式で、列の後ろに立っていたら、新しい先生だと間違われました。担任と並んで写る修学旅行の写真はどう見ても副担任。小学校は私服でしたし、実年齢と体の大きさに一番ギャ...


中華料理 (51)
台湾に駐在していた時、母は現地の先生に中華料理を習っていました。それ以降、わが家のご馳走はお寿司や鰻ではなくて、中華料理でした。特に思い出すのが、白身魚のあんかけ。白身魚を1匹丸ごと41センチの中華鍋で油をかけながら、骨まで食べられるくらい時間をかけて揚げる。それに野菜たっ...


中華鍋 (50)
45年前、台湾から持ち帰って、今も現役のものに直径41センチの中華鍋があります。しまっておく場所もない。大は小を兼ねるわけだし、一人分でも使ってやろうじゃないか、と毎日出番があります。テフロンだ、フッ素加工だといったソフトタッチではなく、鉄なべをカネのフライパン返しで威勢よ...


パナマシーツ (49)
天然素材のパナマシーツ。台湾から持ち帰って、今も現役です。パナマ帽が夏向きであるように、パナマソウを編んだこのシーツも熱がこもりにくく、寝返りをうつとちょっとヒンヤリします。2枚あったけれど、1枚は擦り切れてしまいました。大事に使いましょ、私にはもう買えませんから。 #生活...


手すりのこと(45-1)
手すりのことをもう少し。 外階段はステンレス製。錆びないし、20年以上たってもきれいですが、夏はカンカンに熱くなるし、冬はキンキンに冷たくなります。父は健脚の左足を前に出すために、左手で手すりをがっちり握って、その体重を支える必要があり、いくら熱くても冷たくても手を放すわけ...


歯
父は82歳で亡くなる時、26本、全部自分の歯でした。毎日、せっせと歯磨きした甲斐がありました。ちょっと自慢です。肉でも、お煎餅でも、何を出しても食べてくれたことは有難いことでした。 ブロッコリーを食べて、上の側切歯が折れてしまい、歯を作ることも考えたけれど、付けたり、外した...


今日できたことーバックする (36-8)
父が在宅で暮らすには歩行が維持できないと厳しい。あれこれ工夫した中で一番大がかりだったのが、2013年のリフォーム。それがあって、家での暮らしは続いたけれど、それでも、晩年にはエレベーターの出番が増えてきました。 エレベーターを使うには、あらたな準備が必要でした。...


今日できたことーバックする (36-7)
父は左手で体重を支えるものがないと、一歩も進むことができません。ですが、在宅で暮らすにあたり、どうしても手すりが付かない箇所があります。そこは、手すり代わりのもので代用してきましたが、握力が低下してくると充分に体をあずけることが難しくなりました。そこで、前進あるのみだったの...


今日できたことーバックする(36-6)
わが家の玄関。父が歩いて外に出るには画面右下の外階段の手すりにたどり着かなければなりません。まだ握力があった70代前半は右ルート。下駄箱と窓枠を手すり代わりにつたって、次に雲梯のように玄関の庇を支える柱を掴んで、そして外階段の手すりに辿りつくルート。これはかなりスリリングな...


今日できたことーバックする (36-5)
すべての壁面に手すりをつけられるわけではありません。 父が70代の前半くらいまでは握力も十分で、洗濯機のへりなど手すりではないものを掴んで手がかりにすることができました。 写真は洗面所から廊下へ出るところ。写っていませんが、左側に洗濯機があって、当初は洗濯機の縁をつたって、...