

鎌倉
7年ぶりの鎌倉。早咲きの桜が咲いていました。 大学時代の友人の家族が暮らしています。 長年、家族ぐるみでわが家の応援団です。 ずっと応援していただくばかりだったけれど、私もそろそろ役に立たちたいところです。 #在宅介護 #生活


風炉披露
去年の暮れ、友人が「火鉢披露をするから、何か焼きたいものがあれば持って来て!」と自宅に招いてくれました。私は賞味期限ギリギリのからすみを大喜びで持参して、楽しい忘年会になったのです。 そして、ふと、わが家にも火鉢に似たものが、押し入れの奥深く、20年余り鎮座していると思い出...


訪問の介護サービス(21-7)
訪問サービスという支援の中で、実際にわが家を担当して下さった方々は、親戚も友人も知ることない、父と私の当たり前の日常を垣間見ています。 家の中のことは外からではわからない。口で説明しても実際に見るのとは違います。 あの時、彼女いなかったらどうなっていたかなぁ、と思うヘルパー...


訪問の介護サービス(21-5)
ある日、鯖のみそ煮がピンクのパン皿に盛り付けてありました。 その思いがけない取り合わせに、私は一瞬固まりました。 他に食器がないわけではない、なぜこのお皿を選んだのだろう…。 そして、こういうことなんだと、わかった気がしました。...


お相撲(20)
一年前の初場所、琴奨菊が優勝しました。 「お父さん、10年ぶりに日本のお相撲さんが優勝したよ。よかったね。」 そう言ったその日の未明、父は旅立ちました。 お相撲が楽しみでした。 5時過ぎ、幕の内後半戦が始まると、「はいよぉ~!」と私を呼ぶのです。...


はいよ!日記、つづく(18)
「八月十二日 お母さんが長い旅に出かけてもうすぐ三ヶ月になります。 お盆には先頭で帰ってくることでしょう。待っています。」 半年という時間をおいて、日記はつながりました。 #在宅介護 #夫婦 #生活


紫の花に寄せて(17)
母は頑張り屋の父が好きで、勉強家の父を尊敬していました。 父は脳に大きなダメージを受けましたが、運よくその気質は残り、不自由な体になっても、一徹な頑張り屋でした。 母は「病気になる前も後も、お父さんは私の自慢!」と嬉しそうに言いました。...


途切れたページ(16)
「二月九日 ごはんを食べたりコーヒーを飲むたびにお母さんも早く帰ってくるといいねと言います。」 日記は途切れました。 この頃のことは今まで、あまり思い出そうとしたことがなかったと気付きました。 無意識に避けていたのだと思います。...


日記スタート(14)
このブログの名前の由来は、父が毎日書いた日記です。 1998年9月18日から始まっています。 父自身が文章を書くのではなく、書いたものを父が書き写すのです。 いつか父が自分の言いたいことを書けるようにと、毎日頑張りました。...


計算ドリル(13)
父にとって、言葉でのコミュニケーションはやはり難しいのでした。 では、字はどうだろう、と文字盤などあれこれ試しました。 けれど、自分の意思を伝える手段としてはどうもうまく使えない。 けれど、字は左手で書ける。 数はどうだろう、と子供用のドリルを買ってきました。...





















