

新幹線の旅 (34-2)
2005年に新幹線で新大阪まで行った時は駅員さんに先導され、一般の乗客が利用できないエレベータでホームに出ました。写真のように操作するスイッチに扉がついていて施錠されていました。。新大阪でも同様に、待機していた駅員さんに先導され、清掃の方々が行き交う関係者専用の地下通路を通...


新幹線の旅 (34-1)
父は男ばかり4人兄弟の3番目。大阪には兄二人が在住。祖父母のお墓もあります。 その関係で大阪には2005年に日帰り、2008年に一泊泊まり、2011年には行きは車、帰り新幹線の計3回行きました。このブログにも2016.12.27に「大阪」というタイトルで書いたことがあります...


小さな旅_河口湖(33-4)
半身麻痺の父がバリアフリーであっても、一般のホテルに宿泊するのは容易ではありませんでした。 食事もしかり。家のこじんまりしたテーブルと違って、私がいちいち立って父の分の蓋を開けたり、エビの殻をむいたり、お醤油をさしたりで、せっかくのごちそうも落ち着いていただいてなどいられま...


小さな旅_河口湖(33-3)
母や妹がいた時に、泊まりで旅行したことはありました。 介助者が二人いれば、何とかなるとわかっていました。 でも、私一人は初めて。有料道路の料金所を通ったことのない私には、初めての道を運転するだけで不安。父の体に合わせた自宅。そこを離れて一晩泊まることができるか心配。...


小さな旅_河口湖(33-2)
旅行のことを父に伝えるのは、すべて準備ができてから。 この瞬間からが旅行の始まりです。 お父さん!旅行に行こう!! 父は、ハッ!として うん!うん!うん!うん!! 目は、キラン!キラン! そして、さぁ!行こう!!と立ち上がろうとします。...


小さな旅_河口湖(33-1)
お父さん、楽しいね。びっくりだね。 2008年、仕事を辞めて、時間に追いかけられる苦しさから解放されました。 あの解放感…。助かった…という感じ。体が軽くなって、世界がカラフルになって、空気が酸素たっぷりになった、そんな感じでした。 そうだ、旅行に行こう!...


クレソン摘み
1994年の3月、父が脳塞栓で倒れて少したった頃、ちょうど今の季節、大学の同級生二人が父の見舞いに来てくれました。そして、病室から片時も離れられずにいる私を、病院からそう遠くない湧水の小川に連れ出してくれました。 早春の柔らかな緑、陽は西に傾き始めていました。...


住宅環境整備(30-6)
母の応援もあって、社会に目を向ける機会を持ちましたが、その母が2002年急逝しました。それからのすったもんだは、これまでお伝えしてきた通り。自分の生活の中に父の生活がすっぽり入る形になりました。そんな時間と経験を経て、また生活の形は変わりました。さてさて、これからどうなる、...


住宅環境整備(30-5)
1年間、専門学校の「住宅福祉コーディネーター科」に通っている時に、福祉住環境コーディネーター検定を受験しました。そのテキストのはじめのページに、当時、日本大学理工学部の教授でいらした野村 歓先生の文章が載っていました。私はその言葉しびれました。そして、野村先生の講義を聞きた...


住宅環境整備(30-4)
1999年、専門学校に通い始めました。夜のコースは18:30から21:00まで。あの時はまだ母がいて、後押ししてくれました。 楽しかった。同じコースをとったのに、それぞれにきっかけも、状況も、目的も、知りたいことも違う。でも、共感できるし、してもらえる。...