

今日できたことーバックする (36-7)
父は左手で体重を支えるものがないと、一歩も進むことができません。ですが、在宅で暮らすにあたり、どうしても手すりが付かない箇所があります。そこは、手すり代わりのもので代用してきましたが、握力が低下してくると充分に体をあずけることが難しくなりました。そこで、前進あるのみだったの...


今日できたことーバックする(36-6)
わが家の玄関。父が歩いて外に出るには画面右下の外階段の手すりにたどり着かなければなりません。まだ握力があった70代前半は右ルート。下駄箱と窓枠を手すり代わりにつたって、次に雲梯のように玄関の庇を支える柱を掴んで、そして外階段の手すりに辿りつくルート。これはかなりスリリングな...


今日できたことーバックする (36-5)
すべての壁面に手すりをつけられるわけではありません。 父が70代の前半くらいまでは握力も十分で、洗濯機のへりなど手すりではないものを掴んで手がかりにすることができました。 写真は洗面所から廊下へ出るところ。写っていませんが、左側に洗濯機があって、当初は洗濯機の縁をつたって、...


今日できたことー日記 (36-4)
このブログ「はいよ!日記」の由来となった父の日記張。数えたら25冊ありました。最初は字の練習。その後、日付が記されたのは1998年9月18日から2013年の11月27日までの15年余り。働いていた頃、朝は戦場で面倒でもあったけれど、父が日記を書き上げる20分ほどは集中して家...


今日できたこと (36-3)
障害をもった父との二人暮らしには、何かいつも緊張感がありました。 小さなハプニングで日常が一変してしまうとわかっていましたから。 今日できたことは明日もできると思えるけれど、三日やらないと心配。 一週間やらないと、もうできなくなっているかも、とすごくあせる。...


今日できたこと (36-2)
父は亡くなる1ヶ月ほど前にストン!と力が抜けたようになりました。今までとは何か違うと感じました。 その時、長く在宅介護をしているように思っていたけれど、本当の意味での介護はこれからなんだとわかりました。私がそれまでやってきたことは、介護に至る前、父が自宅で暮らすことができる...


今日できたこと (36-1)
1994年、父は脳塞栓により右半身の自由と言葉をなくしました。その時、61歳。8ヶ月の入院の後、自宅に戻り、その後82歳で亡くなるまで22年間、自宅で暮らしました。その間、父のできることが増えた時期、減っていく時期、私の仕事の状況など、いろいろな変化がありました。その中で、...


慈雲寺の桜 (35-2)
2009年、慈雲寺の満開の桜を見終わって駐車場に戻る途中、桃農家の方が庭先で自家製の桃のシロップ漬けを売っていました。お土産に買った時、ご主人が「車椅子でも桃狩りができるから、夏にもいらっしゃい」と声をかけてくれました。 桃狩り…、素敵な響きでした。...


慈雲寺の桜 (35-1)
桜、今年はゆっくりのようですね。 写真は2009年、山梨県甲州市慈雲寺のイトザクラ。 父とのドライブは、渋滞と混雑を避けるため、お祭りや週末の観光地、季節の花の一番の見頃にはその周辺には近づかないことが大原則。この時も私の運転できる範囲で、父の泊まれそうなホテルを探したとこ...


新幹線の旅 (34-4)
さて、現在の最寄り駅のエレベーター。かつて通路の壁と同化して言われなければ気付かないほどでしたが、今は改札の目の前。扉は透明。老若男女が並んで待っています。 鉄道だけではありません。バスもかつては、降車する時、エイッ!と飛び降りる感じでしたが、今は車高が低くて楽ですね。...