

お相撲(20)
一年前の初場所、琴奨菊が優勝しました。 「お父さん、10年ぶりに日本のお相撲さんが優勝したよ。よかったね。」 そう言ったその日の未明、父は旅立ちました。 お相撲が楽しみでした。 5時過ぎ、幕の内後半戦が始まると、「はいよぉ~!」と私を呼ぶのです。...


仕事と在宅介護(19-1)
父と妹の三人の暮らしが始まりました。 「介護度4の父は家で暮らす。娘二人は仕事を続ける。」 この方向に、あれこれ考えるいとまもなく走り始めました。 忌引きの間に父のケアプランを変更しました。 仕事のある日(週5日)はデイサービスを利用することにしました。...


はいよ!日記、つづく(18)
「八月十二日 お母さんが長い旅に出かけてもうすぐ三ヶ月になります。 お盆には先頭で帰ってくることでしょう。待っています。」 半年という時間をおいて、日記はつながりました。 #在宅介護 #夫婦 #生活


紫の花に寄せて(17)
母は頑張り屋の父が好きで、勉強家の父を尊敬していました。 父は脳に大きなダメージを受けましたが、運よくその気質は残り、不自由な体になっても、一徹な頑張り屋でした。 母は「病気になる前も後も、お父さんは私の自慢!」と嬉しそうに言いました。...


途切れたページ(16)
「二月九日 ごはんを食べたりコーヒーを飲むたびにお母さんも早く帰ってくるといいねと言います。」 日記は途切れました。 この頃のことは今まで、あまり思い出そうとしたことがなかったと気付きました。 無意識に避けていたのだと思います。...


始めのころと3年後(15)
日記になる前、字の練習を始めた頃とその三年後。 だいぶ、昔の父の字になってきました。 もともと象形文字のような四角い字なのです。


日記スタート(14)
このブログの名前の由来は、父が毎日書いた日記です。 1998年9月18日から始まっています。 父自身が文章を書くのではなく、書いたものを父が書き写すのです。 いつか父が自分の言いたいことを書けるようにと、毎日頑張りました。...


計算ドリル(13)
父にとって、言葉でのコミュニケーションはやはり難しいのでした。 では、字はどうだろう、と文字盤などあれこれ試しました。 けれど、自分の意思を伝える手段としてはどうもうまく使えない。 けれど、字は左手で書ける。 数はどうだろう、と子供用のドリルを買ってきました。...


朝のルーティン(12)
在宅での父の介護が始まって5年余り、大混乱の時期を経て、新しい日常が徐々に落ち着き、今思えば、それなりに平穏な日々でした。 仕事もtしていました。ベルサッサでしたけど(終業とともにサッサと帰る)。 朝、7時前、コツコツと杖の音が聞こえてきます。...


オリジナルの手すり(11)
父の退院を前に行った室内のリフォームは、車いすで移動しやすくするためのものでした。 一つはドアを引き戸に変え、車いすが通れるように間口を広げること。トイレ、寝室、台所、洗面所の4か所です。 もう一つは、トイレなど、車椅子から立ち上がるところに手すりをつけることでした。...