

訪問の介護サービス(21-7)
訪問サービスという支援の中で、実際にわが家を担当して下さった方々は、親戚も友人も知ることない、父と私の当たり前の日常を垣間見ています。 家の中のことは外からではわからない。口で説明しても実際に見るのとは違います。 あの時、彼女いなかったらどうなっていたかなぁ、と思うヘルパー...


訪問の介護サービス(21-5)
ある日、鯖のみそ煮がピンクのパン皿に盛り付けてありました。 その思いがけない取り合わせに、私は一瞬固まりました。 他に食器がないわけではない、なぜこのお皿を選んだのだろう…。 そして、こういうことなんだと、わかった気がしました。...


お相撲(20)
一年前の初場所、琴奨菊が優勝しました。 「お父さん、10年ぶりに日本のお相撲さんが優勝したよ。よかったね。」 そう言ったその日の未明、父は旅立ちました。 お相撲が楽しみでした。 5時過ぎ、幕の内後半戦が始まると、「はいよぉ~!」と私を呼ぶのです。...


はいよ!日記、つづく(18)
「八月十二日 お母さんが長い旅に出かけてもうすぐ三ヶ月になります。 お盆には先頭で帰ってくることでしょう。待っています。」 半年という時間をおいて、日記はつながりました。 #在宅介護 #夫婦 #生活


途切れたページ(16)
「二月九日 ごはんを食べたりコーヒーを飲むたびにお母さんも早く帰ってくるといいねと言います。」 日記は途切れました。 この頃のことは今まで、あまり思い出そうとしたことがなかったと気付きました。 無意識に避けていたのだと思います。...


日記スタート(14)
このブログの名前の由来は、父が毎日書いた日記です。 1998年9月18日から始まっています。 父自身が文章を書くのではなく、書いたものを父が書き写すのです。 いつか父が自分の言いたいことを書けるようにと、毎日頑張りました。...


計算ドリル(13)
父にとって、言葉でのコミュニケーションはやはり難しいのでした。 では、字はどうだろう、と文字盤などあれこれ試しました。 けれど、自分の意思を伝える手段としてはどうもうまく使えない。 けれど、字は左手で書ける。 数はどうだろう、と子供用のドリルを買ってきました。...


父の再生。光の先にあるもの(10-4)
入院中、父は病気で死ぬのではなく、憤死するに違いないと思うほど、ずっと怒りまくっていました。何もかもできなくなってしまった絶望と混乱の中にいたのだと思います。それが、自宅に戻り「できた!!」という実感を積み重ねるうちに、かつての日常とは違う、新しい日常を受け入れ始めたのでは...


父の再生。光の先にあるもの(10-3)
わが家は高台の住宅地にあり、平らなところはほとんどありません。 初めて父に外を歩かせるとき、母はどんな気持ちだったんだろう。 父はどうだったのだろう、と思うのです。 だめだ!とわかっても、病院のように回りに人がいるわけではなく、途中にベンチがあるわけでもない。立往生したら、...


父の再生。光の先にあるもの(10-2)
家の廊下がリハビリルーム。 その訓練内容は怖がって大声をあげる父を、母が無理強情歩かせるのというものでした。びっくりするほど無理強情で、父の嫌がりようもこれまた必死で、あまりの力任せぶりに笑ってしまうほど。 この独自訓練を二人でやってたんと思うと、まさに「恐るべし…」という...